10歳ほどの少年

杉原領事の大量ビザ発行は、外務省の行政手続きルールには違反していたかもしれないが、国家方針からも、また同じく人種差別の被害者という国民感情からも、筋の通った処置であった。

その杉原ビザでやってきたユダヤ難民たちを、当時の日本人がどう迎えたのか、史実を辿ってみよう。
「これからは日本の天皇が私たちを守ってくれるだろう」 当時、10歳ほどの少年だったヤン・クラカウスキー氏は想い出をこう語る。
「シベリア鉄道は単線で、対向列車を通すために頻繁に停車しなければなりませんでした。そのたびにソ連の官憲が乗り込んで来て、いろいろチェックするので不安でたまりませんでした。
実際に、 闇金相談 那覇途中で連行されていた人たちもいました。
結局、モスクワから2週間かかりました」 ソ連の官憲に手荷物検査されて、金目のものを押収されたりした人もいた。
「そんなうんざりするような列車の旅の後だっただけに、(注:ウラジオストックから日本の)船に乗ったときは有頂天にありました。ですから、船は古くて臭く、床の上で雑魚寝をしなければなりませんでしたが、まったく苦痛を感じませんでした」

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